弁護士が人権擁護と社会正義を実現するには、権力から自由独立である必要があります。そのため弁護士には自治が認められ、弁護士に対する懲戒は弁護士会と日弁連が行います。しかし、弁護士自治を守るのは簡単ではありません。自らの仲間たちに甘いじゃないか、と国民に思われれば、国民の信頼を失い、自治は失われる方向に向かいます。 日弁連の国際室に務めていた頃、様々な国際会議で各国の弁護士自治の現状を目の当たりにしました。弁護士の指揮監督を実質的に行政が行っている国も少なからずあることを知り、ますます弁護士自治を守ることの重要さ、厳しさを知りました。 弁護士の多くは、懲戒に該当するような行為を行わないよう、日々緊張感をもって臨んでいます。毎月全ての弁護士に配布される「自由と正義」という月刊誌には、懲戒を受けた弁護士の行為が実名とともに記載されます。緊張感を持って自らの行動を律する、自治を持つ裏にはそういう厳しさがあります。 では、政治家はどうでしょうか。「月刊日本」1月号で、平野貞夫氏は安倍氏の、桜を見る会に関する一連の行為は、政治倫理綱領に著しく違反するものだと主張されています。 昭和60年6月25日の衆議院本会議で「政治倫理綱領」が議決されています。この綱領には、「・・われわれは、主権者たる国民から国政に関する機能を信託された代表であることを自覚し、政治家の良心と責任感をもって政治活動を行い、いやしくも国民の信頼にもとることがないよう努めなければならない」と記載され、続いて次のとおり規定されています。1. われわれは、国民の信頼に値するより高い倫理的義務に徹し、政治不信を招く公私混淆を断ち、清廉を持し、かりそめにも国民の非難を受けないよう政治腐敗の根絶と政治倫理の向上に努めなければならない。1. われわれは、主権者である国民に責任を負い、その政治活動においては全力をあげかつ不断に任務を果たす義務を有するとともに、われわれの言動のすべてが常に国民の注視の下にあることを銘記しなければならない。(以下略) 各議院には自律権が認められていて、議員の資格争訟の裁判も各議院の権能とされています。自律権が認められる前提には、当然に弁護士同様、自らを厳しく律し、国民に疑念を抱かれないよう行動する責務があります。 安倍前総理の、桜を見る会を巡る問題、秘書の方々は略式起訴され、有罪が確定している一方、安倍前総理は起訴すらされていません。国会で虚偽の答弁を再三繰り返しておきながら、首相まで務めた政治家が、知らなかったとして、そのまま議員を継続することが許されていいのでしょうか。司法の判断を待つまでなく、衆議院自らが決議した「政治倫理綱領」に従って、「政治不信を招く公私混淆を断ち、清廉を持す」行動を取るべきなのではないでしょうか。自らの行動を厳しく律することができない政治家は政治家であり続けるべきではないし、自律権を有する院は、国民に「仲間に甘い」と思われないよう、緊張感を以て厳しく対処すべきだと思います。 コロナという国の一大事に、コロナと直接は関係ないこの問題をとやかくいうべきではないという声もちらほら聞こえます。本当にそうでしょうか。コロナにどういう政策で臨むか、政治家の果たすべき役割が非常に大きい中、政治家を信頼できるか否かは極めて重要なことだと思います。政治家は「政治倫理綱領」を重く受け止め、自らの行動にしっかり責任を取ることによって、国民の信頼を得る必要があるのではないかと思います。 近く始まる国会で、この問題もうやむやにされず、しっかり議論されることを望みます。
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