憲法と法律って何が違うの?
私が、憲法を初めてじっくり読んだのは、短大の教員時代でした。教え子から、職場で受けたというセクハラ被害について相談を受けたことをきっかけに手にしたのが憲法でした。憲法と法律は全く性質が違うものだということを皆さんはご存知だったでしょうか。
簡単に言えば、法律に縛られるのは私たち国民ですが、憲法に縛られるのは、政府や国会など国家権力です。憲法は、国民の権利・自由を国家権力から守るために国がやってはいけないこと(やるべきこと)を定めたものだからです。憲法が生存権を保障するので、国は財政が厳しくても生活保護をなくすことは許されませんし、憲法が表現の自由を保障するので、国民による政府批判を禁じることも許されません。
憲法を守らなければならないのは「国家権力」であって私たち「国民」ではないのです。憲法に関して議論する際に、国民として、この点はしっかり認識しておきたいです。
憲法改正しないとコロナ対策ができないの?
さて、1年以上コロナ禍が続く中、政府のコロナ対策は後手後手となっています。このような状況下で、今、内閣の判断だけで、法律を作らなくても私権を一時的に制限できる「緊急事態条項」を憲法に導入すべきだという声が一部聞かれます
政府が強制力を伴って医療体制を整えたり、飲食店を休業させたり、人の移動を制限したりすればコロナは克服できたのに、それができないままずるずるとここまできたのは現憲法が不備であったから、とあたかも責任転嫁をするかのような主張ですが、この流れは非常に危険です。
第一に、それは前提が間違っています。コロナ対策として、強制力を伴ってこれらの施策をすすめることは、現憲法の下でも立法により実現が可能です。憲法は、営業の自由、移動の自由などの人権を保障していますが、それは全く無制限のものではなく、「公共の福祉」に反しない限りという制限があります。コロナの蔓延を防ぎ国民の生命・身体を守るという「公共の福祉」のために、医療体制を整えたり、飲食店の営業や人の移動を制限することが必要なら、現憲法に基づき、正当な補償を前提に、必要最小限の強制力を伴う立法を行えばいいのです。コロナ禍の緊急時に立法が間に合わなかった、などの言い訳も通用しません。去年の6月、コロナ禍の真っただ中で、政府は、特措法の改正にも手を付けないまま、国会を閉会し、これに対してツイッターで「#国会を開け」というハッシュタグが溢れた時期がありました。野党が7月に、臨時国会の速やかな招集を要求したのにも応じませんでした。これだけを見ても、国会による立法が間に合わなかったという言い訳が通用しないことは明らかです。
現憲法に基づいて、法律を制定して必要な強制力を伴うコロナ対策を行うことが可能であったのに、これを放っておいた怠慢、つまり、政府の失策を棚に上げ、あたかも、憲法に緊急事態条項がなかったことが原因であるかのような議論は絶対に許されません。
内閣だけで決めていいの?
第二の、そしてより重大な問題は、「緊急事態条項」によって内閣の判断だけで私権の制限が可能になってしまうことの危険性です。憲法は、国民の権利・自由を国家権力から守るために、国民の代表たる国会だけに法律を作る権限を与えていますが、緊急事態であることを理由にこれが実質的に内閣に移ってしまうのです。
これほど重要な事柄を判断するには、その必要性・要件・効果などが明確に説明されなければなりませんが、現政権にそれが期待できるでしょうか。「桜を見る会」、森友問題、加計問題などの公文書改ざん・違法廃棄や、巨額の買収が認定された公職選挙法違反事件と党費との関連など、前政権から現政権に連なる隠ぺい体質、説明拒否の例は枚挙にいとまがありません。緊急事態条項についても、これまで同様、都合の悪いことは隠されたまま、議論が尽されないまま勢いで進んでしまうのではないか、懸念せずにはいられません。
そして最後に、憲法に緊急事態条項を入れるか否かの議論は、平時に、きちんと時間をかけて慎重に行うべきであり、コロナ禍の緊急時に、どさくさに紛れて進めることは絶対に許されません。