毎朝、いろいろな駅で駅頭に立っていると、様々な声を聞き、様々な反応を感じます。
長引くコロナ禍の中で、「国の政策に対する意見をぶつける先が必要ではないか。もっと市民の声を聞かないとダメだ。」
先日、一人の男性が立ち止まって私にかけた声でした。国のコロナ政策に対する意見を募る場はあっても、それを市民に伝わらなかったら場所がないのと変らない。支援策を作っても、必要とする人に情報が届かなかったら、支援策がないのと変らない。政治家を目指す立場として、改めて気付かされます。
朝からぐったりと疲れきり、周りの用紙も目に入らず、私の声も全く耳に入らない様子で、元気なく歩いて行かれる方も少なからずいらっしゃいます。若い方も働き盛りの方も、高齢の方も、女性も男性も、積み重なった浸かれと不安を抱えながら日々生活しておられることが。ひしひしと感じられます。コロナ禍での疲弊なのか、コロナ前からの疲弊なのか。声を聞かせて欲しいと思います。
励ましの言葉をかけて下さる方がいる一方、うんざりした目や、怒りに近い目で私の方を見て行かれる方もいらっしゃいます。政治家を目指すまでは、会った途端にうんざりした目で見られるという経験はありませんでした。今は政治家を目指しているというだけで、冷たい眼差しを投げられることがありますが、それは仕方ないこと、引き受けなければならないものと覚悟している自分もいます。
政治家は口だけ、期待するだけ損、関心を持つ価値もない、そんな無言のメッセージを身に染みて感じます。私も政権に対して同じような気持ちでいたからよくわかります。
でも政治をあきらめたら民主主義は終わってしまいます。監視の目が弱くなって、政治家が緊張感をなくして好き勝手に政策決定できるようになってしまうと、結局は市民にそのしわ寄せがきます。
だからもう一度、政治に関心を持って欲しい。私を信じてほしい。やっぱり口だけの政治家、と思わせない覚悟で私は今ここにいます。
朝夕の駅頭は、いろんなことを感じ、考える貴重な時間になっています。発信する場としてだけでなく、皆さんの声に傾聴し、学ぶ場として大事にしていきます。感じ、考え、発信する。その繰り返しの中で、皆さんの声から学び、声を届けられる政治家を目指します。