政治活動をしながら、弁護士を目指していたころのことを思い出します。弁護士を目指して勉強していた頃、弁護士への道は、大きな川を泳いで渡る人間の姿みたいだなあと思っていました。 仲間と一緒に勉強会で議論することも大事ですが、最後は自分がどこまで頑張れるかの個人戦。大勢で一斉に泳ぎ始めて、中には無駄な力を使わず、効率よく必要な泳ぎをしてすいすい向こう岸に泳いでいく人もいれば、向こう岸の方向性もときどき見失いながらバシャバシャ無駄な動きを伴ってエネルギーを消耗しながら泳いでいく人もいる。これが自分だなあと感じていました。 途中の島に立ち寄って、なかなか再度泳ぎ出さない人もいれば、まだ向こう岸にたどり着いていないのに、近くでおぼれかけている人を助けようとして一緒に流されかける人もいる。 私がすごく信頼する人に、最後の、いつも人を助けようとして流されかけている人がいました。ある意味、一番弁護士になることが望まれている人。私は、その若い友達に言ったことがあります。あなたの優しさは本物だと思う。自分はどうなるかわからなくても、人を助けようとする。でも、あなたが弁護士になるのを待ってる人がいる。あなたしかできないことがある。だから今は心を少し鬼にして、まずは自分が向こう岸に辿りついて、そして岸から手を伸ばしてあげるべきじゃないか。 自分もまだバシャバシャあがいてるときにえらそうなコメントをしたのは、本当に、その友達は弁護士になるべき人だと強く思ったから。 あのころから、20年弱の時間が経過しました。政治家への道は、弁護士を目指したときとは全く違う印象です。基本的には個人戦でも、個人ではどうにもならない、ある意味団体戦の部分も少なくない。 大勢の人と一緒に、川の流れにのみこまれずに、向こう岸に辿りつくことができるか。当然、流されないように、一番足を踏ん張らないといけないのは自分です。 がんばろう